
Text by 西岡 昌典
ダイコンに会ったのはいつだったのか。ダイコンは言う、87年頃。それから、また3、4年西海岸デルマーの駅の近くの19th streetでトランズ・ワールド・スケートボーディング(以下T.W.S)の連中と居を構え始めた。’ZINEの最初のムーブメントが、ルームメイトの一人トッド・スワンクだった。SWANK ’ZINEがT.W.Sの事務所で始まったのを知る者は少ない。ただでコピーの機械を使って即興味に、すぐに思いついた面白い自分達の出来事やイメージを切り紙と組み合わせて一つ一つのページを構成。ユニークなデザインは手製のコラージュ形式。それに手書きの文章を配して、勝手なイラスト、カットなどを添えて、20ページほどで出来上がり。僕もよく参加したものだった。SWANK ’ZINEは、スワンク、チップ・モートン、スティーブ・シャーマン、ゲリー・デイビス、スティーブ・ウィリキンス、ブロックヘッドスケートの連中、トラッカークルーの若者達で構成される。毎月発刊されるSWANK ’ZINEは言えば、即製・興式なかなりアーティスティックなセンスをちりばめた時代世代の新時代を代表したアートワークであった。
それが全米の仲間に送られた。電話がかかってくる、うけとったあちこちから。“ありがとう、面白かった”などと話が盛り上がる。SWANK ’ZINEは出来上がったページのタテ中くらいにステッカーを貼って、あとはプリントされた全米の住所に、仲間に、スケーター達へと配られていった。T.W.Sは皆もご存知であろう。世界中のスケーターならば誰もが知っているアメリカを、世界を代表するスケートの専門誌である。友人のグラント・ブリティン(フォトグラファー)の情熱から発刊されたものである。当時、その編集部に従事する駆け出しのカメラマン、デザイナー、ライター達寄り集まって’ZINEが発生したのだった。アメリカ独特な独創性とウィットユーモアを一まとめに編集され、配布された、ニュージェネレーションの表現の表れであった。しかし、グラント・ブリティンにはよく叱られていた連中だった。“オイ、会社のものを勝手に使うな。真面目に早く仕事をしろよ”−しかし、SWANK ’ZINEはいつしかグラントをも唸らせることになった。やがて、全米からT.W.Sのグラントのもとに沢山のファンレターが届き始め、’ZINEもさることながら、T.W.S紙の知名度が急上昇。即興マガジンSWANK ’ZINEは以後多くの、全米のスケーターに自己の表現を仲間内に広く伝える、新時代のコミュニケーションシステム、アートとしてジャンルを問わず、より多くの人々に、人と人とのコミュニケーションをとりもつ最も簡単で早く、ひらめきの発想と表現の多様さをもって、未だに強力なスピリチュアル・メッセージを届けている。
“ああ、オレ?オレも日本に93年に帰ってきて、それを試してみたが、まだ日本では受け入れられるには早かったと思う。だから日本ではアートワークスという、もう少し大人向けのアートジンブックに参加したことを覚えている。”
それからなんと20年の月日がすぎ、どこからともなくやがて日本のジェネレーションの心、胸を打つ日々がやって来たのか。田中大輔は東京を中心に各地をスケートで旅をし、余時に自ら写真を撮り、いくばくかの仲間とイラストを、文章を、誌を添えたTOKYO ’ZINEを作成することに余念がない。この日本で発芽した。時代の春を伺えつつある仲間の世界に、すでに皆も何か新しいムーブメント、コミュニケーションシステムが始まりつつある予感を感じずにはいられないだろう。また、東京Z-BOYSのメンバーでもある田中大輔は、日々アートワークに、スケートに、カメラワークに、多忙な日々を過ごすという。さらにより興味ある彼のアートワーク、ダイコン’ZINEの広がりに期待したい。また彼のこのアートワークと仲間との活動は、東京都内を中心にアートショーとして、ヒューマンミーティングの機会に鑑賞することができるという。情報をチェックしてみるのは楽しいことと思う。
最後に’ZINEとは、仲間の間でやり取りされる、手紙、ポストカードのやり取りで交わされる情報の交換。SWANK ’ZINEが届くと、今度は相手からオリジナル’ZINEが作成され、返事として仲間の’ZINEが全米から返信される、とてもユニークな通信システムとして、今日にもさらに興味あるいろいろな’ZINEで、人と人との交友が推し進められている。TV、パソコン、携帯といった安易な伝心が流行る今日、やはりアナログでオーガニックな友人からの便りの以心伝心たる最良な情報交換の有効性を、いまさらに推し進めるべき時でもある。
こころあたたかいメッセージ、それが最小でみる最大の最良パワーであることを忘れないでほしい。頑張れ、ダイスケ田中“ダイコン’ZINE”広がりあれ。