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玉井  太朗 interview

 

Bueno! ) 玉井さんは四谷生まれということですが、いつ頃まで四谷にいたんですか?

Tamai ) 16、17歳位まで四谷にいて、そのあとは父親の仕事の事情で何年か関東周辺を転々としていたけど、その頃は年に4、5ヶ月家にいて、あとはずっと旅してた。

Bueno! ) 玉井さんの幼い頃の四谷はどんな場所でしたか?

Tamai ) まだ町内会がちゃんとあって、お祭りでは子供が山車を引いて大人が神輿を担いで、とかちゃんとあったな。

Bueno! ) 写真集でのエピソードにもありますが、玉井さんの原点にはお父さんとお祖父さんの存在が大きく関わっているようですね。

Tamai ) 父親の行動力と祖父の職人気質とか、モノ作りっていうのは受け継いでいるかな。街に住んでいながら野山をフィールドに遊ぶっていうのは当時そうなかったけど、うちは街に住んでいながら本当にアウトドアって感じだった。

Bueno! ) 現在、玉井さんにはお子さんがいらっしゃいますが、子育てをする上で、やはりご自身の幼少期の体験が自然と受け継がれていると感じますか?

Tamai ) うん。もう自然な流れで、無理にこうしなきゃいけないっていうのはないんだけど、自分が子供の頃に受けて印象深かったことを自然とやっているって感じかな。スノーボードも釣りも技術的にこうやってやるんだって教えることはなくて、とにかく一緒に行って一緒楽しむっていう。子供が一番スイッチ入るのは、まわりの大人が真剣になってやっていることだから。それが俺の場合は、釣りだったりスノーボードだったり。サーフィンは時代的にも親父がやっていたわけじゃないけど、海にはすごく行っていた。海に潜ったり、無人島にキャンプしたり...。そういう経験はやっぱり印象に残っているから、自分もそういうことをやれたらいいかなって、それだけ。

Bueno! ) スキーはお父さんに連れられて始められたんですよね?

Tamai ) うん、スキーは親父が若い頃からすごく好きだったみたいだから。当時(昭和40年代)はまだスキーってお金がとできない遊びで、小学生でスキーをやったことのあるのはクラスに2人位とか、そういう時代だった。まだメジャーなものでは全然なくて。うちは東京に暮らしていて、多分土日の数より多く遊びに行っている感じだった。そういうことで2つくらいエピソードがあって、風疹ってあるでしょ?あれになって学校休んで家にいたのね。そしたらそれを聞いた親父が会社から帰ってきて「おい、太朗、釣り行くぞ!」って。「釣り行けないよ~。だって学校休まされてるんだから」って言ったら「バカ、お前それは学校に来るなってことだから。大丈夫だ、釣り行くぞ」って(笑)

Bueno! ) お父さんが帰ってきたのは心配で看病するためじゃなかったんですね(笑)

Tamai ) そう。チャンス、チャンスって(笑)それと、中学生になった時にバスケット部に入って新人戦の選手に選ばれたのね。それで大会当日を迎えたんだけど、朝「今日は最高の釣り日和だ!」って、釣りしに行っちゃって。で、バスケット部をクビになったっていう(笑)その日は年に一度の最高のタイミングだったから、もう迷いはなく。

Bueno! ) 玉井さんとの約束は天気次第ってことですね。

Tamai ) 今でも2週間より先の約束はしない。だから周りはみんな大変。どんだけブーブー言われているか(笑)でもそれぐらいしないと、いい波にもいい雪にも乗れないので、仕方ないんだよね。

Bueno! ) スノーボードとサーフィンは20歳の頃に始めたんですよね?

Tamai ) そう、そんなに早くなかったんだよね。それまではスキーと海に泳ぐことに夢中だったから。で、サーフィンはバカにしてた。ていうのも、大体普通の人は海に行くのって台風の時は行かないでしょ。だから当時僕が目にしてたサーファーって、波のないところでプカプカ浮いてなんかチャラチャラしてるな~って感じだったから、「サーフィン?パウダーの方が面白いよ。山、山、山!」みたいな。それ位の感じでしたね。

Bueno! ) そこからサーフィンをやり始めるようになったきっかけは?

Tamai ) 父親の知り合いの別荘が伊豆の熱川にあって、ある時そこを自由に使っていいことになって遊びに行ったら、海も近いし必然的にサーフィンやっている友達も集まってきて、ウェットスーツとかボードを貸してくれて「やってみろよ」と言われて初めてやってみた。そしたら、大した波じゃなかったけどスープにシューっと乗れて、それがものすごく面白くってびっくりしちゃった。「最高だ~!」って(笑)で、もうその日以来。