BUD BROWNE
-the father of the surf film-
サーフィン映画の父 バド・ブラウン
2020年4月16日より4月28日までスロープギャラリー で開催を予定しておりました BUD BROWNEと彼の作品について紹介します。


サーフィン映画の父と呼ばれるバド・ブラウン(1912-2008)が1950年代から1970年代にかけて製作したサーフィン映画は16本。その最初の1本は1953年のHawaiian Surfing Movieだった。
その最初に製作した映画を、バドは自身で上映告知のポスターからチケットから全てを手作りし、そのポスターを貼り、チケットを売り、入り口で65セント回収することまで行なった。それは初めて映画館で上映されたサーフィン映画となり、以後サーフィン映画のジャンルが確立されたと言われている。
当時の16mmカメラで撮影されたバド・ブラウンの映画に登場したサーファーたちには、バジー・トレント、ジョージ・ダウニング、グレッグ・ノール、ピーター・コール、ブッチ・ヴァン・アーツダレン、ドナルド・タカヤマ、リッキー・グリッグ、ジョン・ペッグ、ジ
ェリー・ロペスなどがいる。
Bud Browne Film Archivesを主催するアンナ・トレント・ムアさんはバドの映画に度々登場したビッグウェーバー、バジー・トレントの娘であり、バドとは家族の付き合いだったそうだ。
「あのワイメアの波に初めて乗ったサーフ・ライディングを記録し、マカハのポイントを世に紹介し、ホノルア・ベイやラニアケアを初めて映像に収め、パイプラインで初めてアウターリーフを記録したのがバド・ブラウン。でもそんな初めてづくしの人とは思えないほどバドは控えめで寡黙な人だった」とアンナさんは回想する。
ビッグウェーバーたちが時代の雄となった父、バジーの時代のサーフィンについてアンナさんは、「パワーコードもなく、ライフベストもつけることがなければ、ジェットスキーもライフガードもいなかった。パドルアウトして出て行ったら、帰ってこれるかどうかは自分次第。泳ぎが上手くなくちゃ。それしかない。」と。
またアンナさんはバド・ブラウンの功績を、「ひとつの時代だけでなく、長年サーフィン映画界で精力的に活躍したことにより、近代のビッグウェーブライディングの誕生からショートボード改革まで、年代ごとに、そしてディープにサーフィンの歴史を記録したことにあると思う。それは他の誰もなし得なかったこと。」と語る。
今回のイベント中止は大変残念だが、次の開催の機会までぜひ楽しみにしていただきたい。
(c)Bud Browne Film Archives

(c)Bud Browne Film Archives

(c)Bud Browne Film Archives
BUD BROWNE PROFILE
マサチューセッツに生まれたバド・ブラウン(1912-2008)は、優れたスイマーであったことからカリフォルニアの大学在学中に水泳競技選手としてデューク・カハナモクと出会った。のちにデューク・カハナモクとハワイで再会することとなり、ワイキキサーフでの撮影が実現した。その後の第二次世界大戦中、海軍兵として転々としたタヒチやハワイなどのポリネシアの島々はバドを魅了し、終生、バド・ブラウンの写真やムービーの舞台となった。数々の映画を作成後、1977年以降は自作の映画製作からは引退したが、その後もBig WednesdayやRiding Giants など多くのサーフィン映画の製作に協力し続け、1991年にはInternational Surfing Hall of Fame、1996年にはHuntington Beach Surfing Walk of Fameに殿堂入りしている。